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人材派遣の世界で得た経験 社会の厳しさを教わった貴重な実体験

2020年4月3日

人財派遣とは

私こと当サイトの管理人は、これまでに多くの転職を経験してきました。

 

現在は経営者としての立場にありますが、20代の頃の仕事の話は恥ずかしくて人様に言えるようなものではありませんでした。

人材派遣とはよく新聞やメディアでも聞く言葉ですが、社会保険を掛けてくれる派遣業とフリーターとして日雇いで働く派遣業と大きく分けて2種類あります。

まさに私が若かりし頃に経験したのは、この日雇い労働者としてのフリーター人材派遣でした。

 

労働条件的にも、毎日がストレスの連続である過酷な派遣業でした。

今回の記事では、そんな派遣業で得た社会人としての心構えや立ち振舞などについて書いてみたいと思います。

 

 

過去の経歴 【人材派遣業】

私が20代の頃の話ですが、フリーターというものを経験し、それはそれは数えきれない多くの仕事を経験しました。

今思えば、とてもよい経験になったと感じています。

今思えばですよ......笑。

 

先述の通り、私は20代の頃の4年間、「人材派遣業」という会社に登録をして日雇い労働者的な仕事も経験してきました。

日雇労働者なので社会的保証など一切ないフリーター同然です。

 

建築現場への資材の搬入、ガラ出し(鉄くずなどのゴミ集め)、引っ越し、イベント会場でのテント設営、倉庫内ピッキング作業、交通量調査、販売サポート、弁当の配達、クレジットカード契約、携帯電話契約、スカパー契約、企業への新型PCの搬入/OSインストールなどなど、上げればキリがありません。

人材派遣業なので、お客様(雇い主)の業務内容によって我々派遣スタッフの仕事も毎日変わります。もちろん一緒に働く現場も、一緒に働く仲間(同僚)も変わります。

体力やメンタルが弱い人は続かないかも知れません。

一番しんどかったのは、毎働く人が変わるということ。

気の合わない人とは移動の時間も含めて一日中会話の無い時間が続きます。地獄でした。派遣会社に入りたての頃はもちろん新人であらゆる業種に対して経験も無かったので、先輩方の言われるがままに必死に仕事をしていました。

我々を雇ってくださる雇い主さんの前で「コイツ使えねぇ~な!」などとレッテルを貼られ、その事実が派遣会社に報告されると、翌日から仕事がもらえなくなります。日雇いのようなものなので仕事が貰えないと翌日から生活が出来なくなります。当時貯金は殆どありませんでした。

そんな中、「使えない!」と言われないようにするためにはどうしたらいいかを必死に考えました。

行った先の現場では、とにかく先輩よりよく動きました。雇い主さんからの依頼は最優先で取り組みました。

そんな生活が半年ほど続いたある日、突然「定番」という仕事が舞い込んで来ました。

 

 

定番とは?

「定番」とは、一つの事業所において、ある一定の期間中毎日同じ作業を繰り返す作業の事を指します。

日々の仕事の内容や勤務地が変わる通常の業務に比べて、毎日仕事があるという安心感、そして何より同じ仕事が連続して一定の期間出来るという精神的な安心感。

通常のこの定番とは、ある程度経験があって派遣会社のほうから信頼されていないと任されないような仕事が殆どです。

使えない人間を定番作業に入れて先方からクレームが来ると、派遣会社自体をもう使って貰えなくなるかも知れないからです。

そんな初めての定番作業を命ぜられたのは「倉庫内のピッキング作業」と言われるものでした。

 

あるチェーンスーパーに対して、各店舗からオーダーの上がった商品を倉庫内の棚から集めてコンテナに集約し、指定されたルートを走るトラックに積むという作業でした。

一見簡単な作業にも見えますが、万が一オーダーを取り違えて違う商品をトラックに乗せてしまうと大変なことになるので、絶対にミスが許されない作業でした。

 

根が真面目な正確が功を奏したのか、そんな作業が自分の性格に合っていたらしく、とても楽しくてやりがいのある作業でした。

当初1ヶ月の予定の定番の現場でしたが、先方からも高評価を頂き、さらに1ヶ月延長してもらうことになりました。

それは私自身も嬉しい事なのですが、一番喜んだのは派遣会社のほうでした。派遣会社にも専門営業職が居て、各事業所を回って営業し私たちが日々働ける現場の契約を取ってくるのが仕事なのですが、自分がたまたま先方からいい評価を頂き契約期間を1ヶ月延長してくれた訳ですから、営業努力をしなくても派遣会社の売上に貢献したことになります。

自分にとってみれば給料が上がるとかそのようなレベルでの話しではありませんが、さらに1ヶ月間の安定した仕事がもらえるという安心感、そしてこれがきっかけで派遣会社に自分の名前と顔を覚えてもらったことは大きい収穫でした。

それ以来、与えられる仕事が無くていわゆる「干される」という状況に陥ることは殆どなく、その定番の現場が終わった後も似たような倉庫内作業の現場を斡旋してくれるようになりました。

会社からは「倉庫業のプロ」という称号まで貰い、その後も倉庫系の定番の現場を2現場任されるようにもなりました。

 

 

派遣業でもスキルアップが出来る

倉庫業もそれはそれは楽しい職場でした。

定番で入ると、その倉庫の社員さんとも仲良くなり飲みに誘ってくれるようになったこともあったり、中には「正社員としてうちで働かないか?」という嬉しいお話を頂く現場もありました。

私は2年後に地元に帰ると決めていたので、その旨を話しで丁重にお断りしました。

実家に帰る予定など無ければ、きっと正社員で働かせて貰っていたと思います。

 

しかし、派遣業のいいところは、様々な現場を見ることが出来て、行く先々のお客様の会社の社員さんを見る事ができます。

行った先の会社で上司に怒られている社員さんを見るやいなや、「なんで怒られているんだろう?」と耳を傾けるとその理由が分かります。

「この業種ではこれをすると上司から怒られるのね....」

というその業界でしか知りえない内部事情や、「このタイプの上司に好かれるには先立ってこのように動けば良いんだな....」という悪知恵が徐々に付いていきます。

これが私にとっての社会勉強でした。

 

その業界を知り、社会人として会社員として稼いでいくにはこれをやったら良い、これをやったらダメという判断基準を養いました。

実社会の経験は実社会でしか積めません。

現場の仕事は現場じゃないと経験出来ません。

 

それが自分のスキルアップに繋がり、将来的にいつかは約に立つ日が来ます。

 

倉庫業では限界がある

そんな楽しい倉庫業でしたが、所詮日雇い労働者....アルバイトも同然です。

給料は一日で8000円程度。

きっと飲食店で朝から晩まで12時間ぐらい働いたほうが給料的には高かったかも知れません。

 

もちろん派遣会社だったので、仕事は現場作業や倉庫業だけではありません。

ある日、仲間からスーツを着る仕事をすると日給が10,000円を超えるという話を耳にしました。

 

スーツを着る作業とは、いわゆる携帯電話の販売員だったり、店頭でクレジットカードを宣伝して契約したり、スカパーの契約をしたりという接客・契約系の業務でした。

条件は、スーツを持っている事、そして接客が出来る事。

 

両方ありました。

 

スーツもあります。

前職は飲食店を6年経験しています。

接客業は転職のようなものです。

それから派遣会社に「スーツ系の仕事がしたい」という申請を出します。

当時、倉庫系で働く数名の派遣作業員をまとめるリーダー的な仕事もしていたので、「後任を見つけるまでの間ちょっと待って!」が掛かり、しばらくはスーツ仕事に入れませんでした。

しかし、しばらくすると、携帯電話の販売の仕事を中心にもらえるようになりました。勿論、倉庫業も引き続きといった条件でしたが、平日は作業服を着て倉庫で作業をし、週末は某大型家電量販店の携帯電話コーナーで携帯の契約をする日々がしばらく続きました。

この平日は作業服、土日はスーツを着て接客というギャップがたまらなかったですね。

月~金は倉庫業、土日は家電店。休みがなくても平気でした。恐らく1年くらいまともに休まず働いていたと思います。

今から20年ほど前ですが、フリーターでありながら日勤のみで30万くらい稼いでいたと思います。

 

 

現実に気づく

そんな楽しい派遣作業員でしたが、一つだけ気になっていた事が。

社会的な保証もなく、毎日変わる現場を転々としてお客様からの評価を得たとしても、何一つ自分には残らないという事に気づきました。

やはり男としてはキャリアアップして、主任→課長→部長→専務 のような昇給昇格サクセスストーリーに憧れるもの。

派遣業はフリーター。いくら頑張ってもバイトはバイトです。

 

結局、楽しかった4年間に終止符を打ち、実家に戻って地元企業に正社員として就職する決断をします。

目星を付けていた会社があり、知人の紹介で直接面接でしたが、面接後には社長から「明日からでも来てくれないか?」とのお返事。

よほど人手不足だったのでしょう....笑。

 

最終的にその会社で13年ほど働きました

紆余曲折ありましたが、結果管理職にまで這い上がりました。

 

取締役の話もちらっとありましたが、私は将来独立するつもりでしたので、いずれはその会社を去るつもりでいたので、その話は聞かなかった事にしていました。

 

 

まとめ

とても良い経験をさせて貰った20代でしたが、人によっては余計な回り道に見えるかも知れません。

卒業後、新卒で一つの会社に就職していれば、もしかしたらもっともっと全うな人生を歩んでいたかも知れません。

しかし、人生どこでどうなるのかなんて、誰にも分かりません。

あのターニングポイントでもしも別の選択をしていたら、もっと違った人生になっていたかも。

これらを考えるとキリが無いし、結局は結果論です。

結果だけで判断するのは、小学生でも出来る事。

 

結界、自分の人生は過去の細かい一つ一つの経験で成り立っている訳です。

経験して無駄なことなんて一つも無いと感じます。

あらゆる経験は自分のものとなり糧となっていくのです。

 

人には人それぞれの生き方があるので、生き方を否定すれはその人の存在を否定しているのと同じ事。

職業にも同じ事が言えるのでは無いでしょうか?。

  • B!